神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 火上姉子神社 |
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当社の遺存の社は、緑区大高町に鎮座する「氷上姉子(ひかみあねこ)神社」と考えられている。 この神社は現在、熱田神宮の摂社の一つで、大高町の氏神として祀られている。 「ひかみあねこ」の意味については、明確ではないが、当社の鎮座する大高村は、もと「氷上」と称し、その氷上が火高となり、次いで、村が火災にあったため「火」の字を忌んで「大」に改め、「大高」と称したといわれていて、 「ひかみ」は、大高の旧名と考えられている。 |
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【由緒】 | ||||||||||||
当社は、仲哀天皇4年に火上の地を本拠にしていた尾張国造の館跡に、宮簀媛命を御祭神として創建されたと伝えられていえ、持統4年(693)に現在地に遷座した。 宮簀媛は、日本武尊が草薙剣を残して、伊勢国の能褒野で亡くなった後、この地に草薙剣を安置して奉仕していたが、その後、熱田の地に社を建て、これに神剣を移して生涯奉仕したと伝えられている。 創祀以来、熱田神宮と密接不離な関係にあり、早くから熱田七社の一つとされている。 |
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【所在】 | ||||||||||||
名古屋市緑区大高町火上山一番地に鎮座する。 大高町は知多半島の基部を占め、町の東部から南部にかけて丘陵が発達している。そのため、往古には、熱田台地、瑞穂台地、鳴海丘陵とともに、年魚市(あゆち)潟を包む外郭の一部をなしていたと考えられる。 当社は、この大高村の氷上山と称する丘陵地にあり、海水によって浸食された谷の奥に位置している。 近辺には、古代の水田地帯を一望に眺められる台地縁辺に古墳があり、なかでも西方の上野町名和の古墳群にある「兜山古墳」は、尾張南部でも最も古い4世紀前半と推定されていて、三角縁神獣鏡を始めとする三面鏡の鏡・石製模造品・勾玉などが出土している。 大高村の地は、もと愛智郡に属していたが、郡境の再編成によって、後に智多郡に属するようになった。 |
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【祭神】 | ||||||||||||
尾張氏の祖とされる「宮簀媛命」を祀る。 宮簀媛命は、神剣を祀る尾張氏の巫女であったとする説もある。 下図は、「尾張名所図会」より |
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【祭祀】 |
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主な祭典は、
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例祭は、大高祭ともいわれ、各町内より笠鉾車・猩々・獅子がでて賑わう。以前は馬の塔(飾馬)も出された。 古くは二季祭りと称される2月上未甲日の祈年祭、11月上辰巳日の新嘗祭、4月13日の御衣祭(御苧祭)は、神幸を伴う祭儀として注目され、神輿が本宮、ついで朝苧(あさお)社に渡り、同社の神前に設けられた機屋で神御衣が織られた。 5月の頭人祭は、当社と熱田神宮との密接な関係をあらわすもので、熱田神宮における5日の神輿渡御神事のあと、頭人の熱田七社詣があり、当社へは翌6日に船で渡り、鷹の絵馬を献じ、饗応があった。また村民はその鷹の姿態によって、その年の豊凶を占った。 古くは陸路を通り、鷹狩の鳥を御贄として奉献したそうで、同様のことが祈年祭・新嘗祭にも行われていた。 |
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当社の古い祭祀の形態は、熱田神宮との間に尾張氏による同族祭祀が顕著で、全体的に両社の間に酷似する点が多くみられる。 3月に太々神楽は熱田神宮で行われた神楽を伝えていて、天保年間に始まった。 6月の大高斎田御田植祭は昭和8年に熱田神宮の御斎田として行われ、今日に及んでいる。 |
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【社殿】 | ||||||||||||
社殿は昭和61年10月3日に本殿遷座祭が斎行され、本殿を修理し、その前の渡殿・幣殿・拝殿は新造された。 本殿は、明治21年の火災の後に移築再建されたもので、明治26年改造以前の別宮八剣宮の本殿である。 |
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【境内地】 |
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当社の境内地は火上山を含む広大な土地で、現在、32305坪である。 社殿のある丘から下って、西側の丘に元宮・神明社・玉根(たまね)社の末社三社がある。 また、境外の字東姥神には末社朝苧社が鎮座して、火上老婆霊(ひかみうばのみたま)を祀り、俗に「老姥(うば)神様」と呼ばれ、氷上の里の地主神といわれている。 |
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【参拝記】 |
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氷上姉子神社には、2009年2月1日に初めて参拝して、その後、2010年1月31日に神社近くの「兜山古墳」に行ったとき、氷上姉子神社も再訪した。 社殿のある丘から下って、道路を挟んで、西側の丘(火上山)の上に元宮がある。 |
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広い雑木林におおわれ、「野鳥保護区」になっている。 森が深く、いい雰囲気だ。 |
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本宮への道を上っていくと、まず「玉根社」があり、この社は、少彦名神を祀る。 |
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また登ると、天照大神を祀る「神明社」がある。 |
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そして丘の上の広場の北側に、宮簀媛命を祀る「元宮」がある。 |
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元宮の脇に、「宮簀媛命宅跡」の石碑が立つ。 元宮前の広場が尾張氏の居館があったところか、と思うと感慨深い。 |
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2010年6月27日、「大高斎田御田植祭 」を見に行った時、境外末社の「朝苧社」も訪ねてみた。 参考にした地図があまりに大雑把で、あちこちうろうろして、行きあたった地元の人に聞いて、やっと社のある山へ入る道をみつけた。 |
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そして山の中腹の森の中にある社を見つけた。 |
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氷上姉子神社は、JR大高駅の南西約1.3kmとところで、神社へ向かって歩く大高の町並みは、なかなかいい雰囲気だ。 日本酒の酒蔵があり、煙突も趣がある。 |
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